人口が縮減していく社会に居つづけること
(2024.6.5)合計特殊出生率 2023年は1.20 出生数72万7277人 ともに過去最低 | NHK |
2023年人口動態統計に関する最近のニュースには、(誰にもわかっていることですが)次のような記載がありました。
● 生涯に出産する子どもの数(合計特殊出生率) 1.20 過去最低
● 出生数 72万7277人 過去最低
● 死亡者数 157万5936人 過去最高
● 結婚件数 47万4717組 過去最低 *1
ξ
2022年、国連は世界の将来人口の新推計(UNWPP22)を公表しました。
その紹介文を読むと次のようです。
まず、世界人口全体では、なおしばらく増加を続けるが遅くとも今世紀後半の中頃には減少に入り、世界全体が、現在の日本と同じような少子高齢・人口減少社会に移行していく。
そして、もし、そのまま人口減少が続けば世界人口は300年ほどの間にピーク時の100分の1程度まで縮減する。・・・・
一方、現在の日本が経験している人口減少は歴史的な人口転換の帰結であり、先進国を中心に世界の多くの国々も遅かれ早かれ同じ道を歩むと考えてよい。
したがって、この人口減少は日本だけの特殊な事情によるものではなく、前代未聞の「国難」といった国粋主義的で排他的な捉え方をすべきではない。・・・・
基本的には、長年にわたり人類が進歩し豊かになり、平均寿命が延び長寿化する一方、結婚・出産あるいは移動に関わる自由が拡大してきた結果であり、そのこと自体は喜ぶべきことであり、今後も、この流れを止めるべきではないだろう。
(原俊彦『サピエンス減少』、岩波新書、2023)
すでに世界の人口増加率は減少に転じているし、国連の新推計によれば、世界人口は2080年代の104億人をピークに減少に向かうようです。
日本は2009年からすでに人口減少段階に入っているが、2100年には7400万人にまで大きく減少すると推計されています。
つまりホモサピエンスは、ロジスティック(成長)曲線のような動きを見せてその減少段階に入りつつあります。
現在の世界の人口増加の大部分は、サブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南)で起こっているが、その出生率は日本の戦後1947~1949年(第一次ベビーブーム)と同水準(4.52)であり、それらの地域が決して異常に高い出生率のもとにあるわけではありません。(前掲書)
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ξ
人口が増加する社会と、人口が減少する社会ではその社会が持つ空気には大きな差異があります。
人口動態から現在と近未来の社会の有様が説明できてしまうと言ってよいほどです。
人口が増加する社会の雰囲気とはどのようなものでしょう。
人口が増加する場合、基本的に生産年齢人口が増加し、社会資本の蓄積や社会的生産の拡大がすすむことになります。
(もし社会資本の蓄積や社会的生産の拡大がともなわなければ人口は増加しません。)
このため諸問題の解決は比較的容易とされます。
人口増加が見込めれば、時間とともに社会資本や社会的生産の増加が促進されることになります。
膨れ上がる社会資本や社会的生産の余剰が社会全体に浸透するようになっていきます。
次々と生産年齢人口が増えるため、社会的・経済的選択肢は拡大し、また活発な競争が起こり、社会全体の活力は高い水準が保たれることになります。
感性的な気分を想像してみれば、「明日があるさ、明日がある」「何があったってどうにかなるさ、喰いっぱぐれることは無い」という楽観的な気分にあふれる時代といえそうです。
ξ
一方、現在の日本のように人口が(増加段階を終え)縮減する社会では次のような事態になります。
列挙してみます。
❶ 人口の縮減は、生産年齢人口の減少を通じ、社会資本の蓄積や社会的生産の拡大を困難にする。
❷ パイ=経済規模の縮小、ストロー効果(吸い上げ効果、straw effect)により、縮減する社会資本や社会的生産のもとでは就業機会が減り、分け前にあずかれる人が減るとともに、わずかな余剰も吸い上げられる(トリクルダウンはない)ことになる。
❸ 人口減少に合わせ組織の無駄を省きスリム化することが常に求められるため、人口増加時のような全員参加型の前向きの競争は無くなり、「排外的でギスギスした陰湿な生き残りゲーム」のような競争が生じる。
❹ このような状況が社会全体に浸透することによって社会的不満や不安が鬱積することになる。
❺ 人口減少社会では、新規に社会基盤を整備したり継続的に更新することが容易でなくなる。
したがって対象を絞り早期に投資を回収するため効率を最優先せざるを得なくなる。
こうして非正規雇用の拡大、所得格差の拡大、中間層の崩壊と富裕層と貧困層への解体、費用対効果・効率主義の徹底、排外主義など、お馴染みの事態は、人口動態の変化と結びつけることができます。
地方創生で言えば、他の地方などどうでもよい、人口減・過疎の自分の地域がとにかく生き残ること、ベストワンが無理ならオンリーワンを目指さなければ!と、地域と人がただ疲弊・疲労していく「生き残りゲーム」を強いられていきます。*2
資本主義的な強者・弱者の対立がもっとも鮮明になるのは実は人口減少期であることがわかります。
おそらく「良い子」然とした(近代)人は、それに対し人権だの生きる権利だの平等だのと言い張ります。
ところで人権だの平等だのと誰が保証したのか。
そもそも個人の権利などというものは存在しなかった。
もし人間に天賦の人権があるというのなら人間を超越した架空の絶対神を想定する以外ないことになります。
ξ
かくしてワタシたちは、人口が縮減する「排外的でギスギスした陰湿な生き残りゲーム」の世の中に居つづけています。
日本はこの時代を先端的に進んでいますが、世界は21世紀後半には日本に類似した世の中になるでしょう。
そうであっても自分の生涯を、偶然と必然の時間空間を織りあわせた構造物と見れば
自らの責任の外にある偶然はただやり過ごし、自らの意思と努力が可能な必然の時間空間のなかで
自らの責任で稔らせる小さなスキマ(未来)をいくつも見つけて生きていくのがよい
と思えます。*3
そのとき親や国家の因果からひたすらな逃亡を選択することもあるだろうし、生涯にわたり闘うこともあるだろう、また逃亡と闘争を繰り返すこともあるだろう。*4
人間の心と身体は、現在であれ未来であれ、何かを空想(表現、創造)すること無しに生きられないからです。